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2026年04月21日 - 自治/海に行こうよ
0:20入眠、9:40起床。
4:42中途覚醒。
データに残ってないけど何度も起きて寝た気がしない。
最近マジで日々に疲れてるなーっていうのを実感してる。
どうしても暮らしっていう毎日毎日同じことをしているだけっていう日常なのに、それに何か報酬とか特段変わったものとかを求めてしまって、それは結局得られないから そこのギャップで疲れてしまっているかなって思ってる。
やっぱり何か救いっていうのを求めてて、それが結局何なのかすら分かってないから、めちゃくちゃ曖昧な欲求ではあるんやけど、やっぱり癒しなのか、救いなのか、報酬なのか、快感なのか、よく分かんないけど、何かしらそういったものを求めているっていう気がする。
どうしても生活にマンネリしてしまっているというか、一つ針を刺すようなものが欲しい。
本書きたいな。
やっぱり毎日の日記というアウトプットの形は、書きながら整理してる感じだから、細部まで体系化できていないなと思う。
作品っぽいアウトプットをしたい。
二葉澪降としてのポートフォリオはまだ未熟で、日記を390くらい積み重ねていることは実績ではあるけど、ポートフォリオには入らない。
せっかく日記をコンテキストでタグ付けしたので、それを元に記事を作りたいな。
https://youtu.be/L6jVK6jI5SA?si=5INI_fifaauap_ZU
PTAというと半ば強制加入で、しがらみとかがあってめんどくさいっていうイメージがあるけど、傍から見たら不思議な形のコミュニティの在り方で、面白い。
政治学に則ってPTAを効率化していくのかと思ったら、非効率には理由があって、決して効率的で利益を生むことが目的の組織ではないというのが分かってくるのがストーリーとして面白い。
多分自分もこういうシステム作りをしていくのが好きなタイプな人間だけど、同時に民俗学的な視点で世界を見ることも好きだから、完全にぶっ刺さった動画だった。
UBCの全盛期には、情報漏洩を防ぐために正確なルールや仕組みが整備されようとしたけど、実際には4人のみのグループで成文化されたものは必要なかった。
どうしても理系的な考え方なので、プログラム的に仕様を決定した方が正確でいいんじゃないかと思うけど、実際は柔軟に人対人で決定できた方がスムーズで合理的なんだよなと最近思う。
多分厳密なルールがあった方がフロー化できて楽だと思っているのは自分くらいで、ルールなんかあったら制約になって面倒くさいと思っている人の方が大半だと思う。
なのにノエシタと一緒にロマン的なことも含めて通してしまったので、こういう考えは改めたい。
この話してからふと中学のときのスライドとかドキュメント見返したくなって見返してた。
UBCって単にグループに名前がついているという話ではなくて、莫大な情報資産と歴史的背景を持った組織だと思うんだよな。
元々パソコンを抜け道的に使って会話してたところが根源だから、秘密結社的なところがあって、あまりその存在について話すのはよくないとされていたが、既に中学校を卒業してそのルールは形骸化したからいいでしょう、親告罪だし。
UBCは共有のGoogleドライブと関連づけられた組織で、そのサービスを通じてメッセージやデータをやり取りしていたというのは、普通の友人関係にはない特異な関係だと思う。
情報資産や歴史を持ったコミュニティであるというのは多大な価値を持っていると思っていて、それによる仲良さは絶対的だと思う。
そしてその情報や歴史を追っていくのも楽しい。
それにより地盤が固まっているから、ここは無くならないなと信頼できる。
しかし、これによって生み出された独特の会話方式や身内ネタっていうのが分かりにくくて、がとみゃく、jasmineとの会話をUBCのディスコ鯖で統合しようとしたのは失敗だったと思う。
やはりUBCはそのシステムや歴史を理解していないと難しいし、理解しているからこそ生まれる関係性っていうのもあったと思うので。
それ自体はすごく好きだし、故郷感すらあるけど、そこはしっかり分けるべきだった。
そういう意味で、ある背景などを持っていない結集鯖は、今のところ健全に動いていていい感じだなと思う。
UBCのときに私が一番危惧したのは、管理者というシステム的な役職によって関係性が生まれることで、結集鯖ではそれを防ぐために多くのシステム権限を全員に与えているのはよかったと思う。
結集鯖は誰かが居づらい場所にはなってほしくないし、共有空間として気軽に話せる場所であるといいなと思う。
全員で予定合わせたり通話イベント開催するときに便利だしね。
UBCやすこやかのような真っ先に会話が起こる場所ではないけど、今のところたまに会話が起こっていて、そこで話せば誰かは返事してくれるので、健全に動いていると言える。
UBCという狭いコミュニティというのも好きだけど、もっと全体に今関係を持っている人たちと会話できるというのも大事なので、この場所は失われてほしくないな。
17時にお風呂に入ったら最高に気持ちよかった。
電気もつけずに、自然の明るさで入るお風呂、生活のストレスからデトックスされた感覚があった。
時間というのは、本当に過去から未来へ続く一直線なものなのだろうか。
例えば「昨日○○してて…」という話をするとき、その人にとって後ろにある時間はその出来事があった時間だろうし、久しぶりにあった友達と話すとき、その人たちにとっての過去の時間は前に話したときのことだろうし、受験勉強をしている人にとって未来とは受験日のことだと思う。
最近どうも嫌な感じがするのは、友人と話したりゆっくり本を読んだりといった、心地の良い時間が私の以前に接続されていないからだと思う。
その一方で、今進むべき線は今-受験日の時間軸なのに、それに無理やり乗ろうとして乗れていない感じもある。
なのでどこにも接続されないその日暮らしの一日を過ごしてしまって、どうも気持ち悪いんだと思う。
その時間が心地よいものであればいいけれど、なんとなく不満を抱えながら一日を歩いて、終わってしまうということが物凄く恐ろしい。
私は想像上に心地の良い時間を持っているけれど、それが現実と接続されないままいつまでも時計が進んでいったとしたら、私はどうなるだろうか。
私はよく小学校の友達と遊ぶ夢を見るが、それもそうだ。
多分、想像しても二度と現れることはない時間なんだと思う。
随分私の人生は寂しくなってしまったなと思う。
楽しかった時間は現実から剥がれていって、いつか上手く繋がらなくなる。
世界は相対的だから、行く先を決めなければどこに歩いていくのか分からないな。
そんな愚痴を溢しても、明日も全ていつも通りなんだろうから、増々嫌になる。
ちょっと一日海に行こうよって、言ってくれたらな。